経済の分野でフローとストックという概念があり、流れと蓄えという意味らしいが詳しくは知らないので割愛。
情報というものも財産として考えるとフローとストックの考え方が適用できると思っていて、情報も金同様使って(流通して)はじめて価値を生み出すのではと最近思い始めた。

情報の流通とは何かというと、人から人(私から誰かへ、誰かから私へ、誰かから誰かへ、私から私へ)の4通りあり、この全てで価値を生みうる。
価値というが、伝えられて何も影響を及ぼさないものも価値0として扱うことにすると、なんとなく通用しそうな気がする。

たとえば、本なんかが最たるもので、積んでいるうちは中身を読んでいないので情報が伝達されておらず無価値(null)であるし、読んだら正負なんらかの感情や学びがありはじめて価値を生む。
SNSでくだらないことを書くのも価値を生むものだと思っている(ただし格式張って展開されるものよりも密度が非常に薄いので実質ジャンクなデータといえるが)
ただし、今の時代は誰もが発信者になれることもあり、流れる情報というのは膨大すぎて人間一人のキャパシティでは扱いきれないし扱おうとすると精神を止む(e.g.インターネットやめたい)。

もちろん情報をストックする場所というのも必要で、図書館がそれに当たるのだが、俺のような一般人が情報を集積できる量なんてものは高が知れているので、そこまでやろうとするべきではないし、やろうとすると生活や精神が破綻してしまう。ので、そういう役割は図書館に押し付けてしまえばいい。
というのを数年かけてようやく学んだのであるが。

更に拡張して、人間すらも情報を運ぶ媒体、また人間そのものを情報として考えると、人間もストックされていては価値を生めない、存在を認知されないとも言える。
雑に言うと引きこもっている現状は悪循環なのではないかと思った。

ここでいう外に出るというのは物理的な外出だけではなく、他人との交流のあるものすべてという意味であり、そもそもCOVID-19があるから不用意に外出すべきではないという状況もある。

まあ、殻を破りたいという気持ちはあってもその方法がわからないので孵化できないでいるんですけどね。

などということを、買ってから数年経って未だにビニールを破られていない本を眺めて考えた。

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